いつもありがとうございます。
変わった人のある日のつぶやき
今日のテーマは、
「諦めると見える悩みの答えは反対側にある!」についてです。
あなたには「解決したい悩み」がありませんか?
「悩み」について深く考えたことはありますか?
また「その悩み」にしっかりと対応できているでしょうか?
私たちの「悩みの正体とは、何なのでしょうか?」
一般的に「悩み」ということについては
人に相談しにくかったりしますよね?
理由は「恥ずかしい」や「認めたくない」とか様々だと思います。
そうですよね!
わかります。
私は「こんなことで悩んでいるのか」とか「こんなことも自分で解決できないのか」と
思われることが嫌で「誰にも相談しないで生きてきた時期」がありました。
ただの「カッコつけ」だったのです。
その当時を今振り返っても
「孤独」で「前が見えない霧の中を、何も見えずに歩いている不安があり」とてつもなく
辛い時期でした。
ただ「勇気を出して相談してみた結果」
「悩みが一瞬で吹き飛び解決させることができた経験」から
今は嫌いだった「恥ずかしいから相談しない」という行為も
「相談したら解決できる」という思考に変わりました。
「悩みは」だれにでもありますよね?
これは「仕方のないこと」なのです。
悩みを解決する方法は「2つしかない」のです!
自分で解決するか
人に相談してアドバイスをもらうか
です。
いずれにしても最後は「自分で解決する」しかありません。
まず、
自分で解決を試みて「解決できなければ人に相談しましょう!」
人に相談して「解決できるようになる」と
自然と「自分で解決できる」ようになっています。
簡単に今回のお話しの結論を言ってしまうと
私たちの悩みは「出たと同時に解決策の答えが出ている」のです。
ただ「答えがすぐに見つからない」理由は
「自分が一番見たくないところに答えがあるから」なのです。
「諦めて」自分で「答えを見つける」のか
人に相談して「諦めさせてもらって答えを見つける」のか
「諦める」=「明らかに眺める」という意味でかなり深い意味があります。
今回のお話を聞くと
「悩みの答えを見つけるための方法」がわかります。
ということで今日は
「 諦めると見える悩みの答えは反対側にある! 」 についてお話をしていきます。
是非、最後まで読んでいただけると幸いです。
このブログを読み終わった後
きっと今まで気付かずに見過ごしてきた
「大切なこと」に
気付くことが出来ていると思います。
是非「大切なこと」に気付けたら
自分を「自分ってすごい!」と
心置きなくほめてあげてください。
「私はすごい‼」と
あなたはすごいのです。
では、本題に入ります。
このブログを見ると以下のことがわかります。
目次
悩み
悩みごとってありますよね?
実は
この宇宙は
電気でも「プラス」と「マイナス」
イオンでも「プラスイオン」と「マイナスイオン」があるのです。
「プラスとマイナス」は
宇宙に「一瞬にして同時にできる」のです。
ということは
自分は「今問題を抱えている」という場合に
「問題が発生すると同時」に
実は「答えや解決策が一緒に出ている」のです。
それを「探すのに時間がかかる」だけの問題で「必ず答えはある」のです。
全てのことにそうなのです。
「マイナスの疑問が出た時」には
「同時にプラスの答えも出ている」のです。
そして「プラスが出ていない」や「答えが出てないもの」は
実は「悩みも出ていない」のです。
悩みが出たら「答えもある」のです。
だから「お釈迦様」が
「悩み即菩提(そくぼだい)である」と言ったのです。
要するに「悩むということ」は
「即答えはある」のです。
ではなぜ?
「答えがなかなか見つからないのか?」と言うと
答えは「一番見たくないところ」にあるのです。
自分が「そっちを見たくないから見つけるのに時間がかかるだけ」なのです。
ですから
そっちを見てしまえば「本当は答えがある」のです。
ここでポイントですが
答えがあるとわかっていても「自分が見たくない方向」って
正直見たくないというか「見れません」よね?
そういう時には「他人に相談すると良い」のです。
あっさり「答えが出てくることもある」のです。
あとは「相談するだけで気持ちが軽くなる」のです。
相談するのが「恥ずかしい」という気持ちもわかります。
しかし
「解決できた時のすがすがしさに比べたら相談しない手はない」のです。
やってみると良いのです。
諦める
幸せになるためには「諦めないといけない」のです。
えっ!
いきなり「諦めろって!」言われても・・・となりますよね!
ここで言う「諦める」というのは
「明らかに眺める」ということなのです。
私たちは「諦め方が悪いから不幸」なのです。
例えば(物欲)
ここにブランド物のバッグがあります。
例えば
同じバッグで
ブランドの名前が付いているだけで
「十倍もするなんてばかばかしい」から
「よしなさい!」と言いわれて
これを諦めるとしますよね。
そこで「諦められる人は諦める人生」なのです。
それが
「諦めなさい」と言った時に
「諦められない」とすると
その人は「諦められない人生」なのです。
ここで「諦める」のです。
なにを?
そんなこと言われても「私はバッグが欲しいのよ」と!
今世はそういう「人生なんだと諦めてしまえばいい」のです。
どうしても欲しいのだから「働きに行って買えばいい」のです。
それを「欲を捨てましょう」と言うから
「おかしくなってしまう」のです。
「欲を捨てられない人間だと諦めればいい」のです。
「諦める」というのは
「本当の自分が分かればいい」のです。
「本当の自分を分かって許してあげればいい」のです。
ですから
「あんなバッグなんか買う必要ないわよ」と言われて
「そうですね!という人もいる」のです。
反対に
「そんなこと言ったって私はバッグが欲しいのよ!という人もいる」のです。
そういう人は「早く働いて買えばいい」のです。
それで「手に入れればそれでいい」のです。
「諦められない人生なのだと思ってしまえばいい」のです。
それを「バッグの方を諦めようとする」から
「苦しくなってしまう」のです。
人間というのは「千差万別色々いる」のです。
ですから
「ブランド物のバッグを諦める人もいる」し
「ブランドなんか知らない人もいる」のです。
でも「ブランドバッグのこと」は知らなくても
そのかわりに
「子供には良い学校に入りなさい!という人がいる」のです。
それも「ブランド」なのです。
「学校というブランドが欲しい」のです。
ですから
「バッグはいらない」けど「有名な学校というブランドは欲しい」のです。
だから「諦める」のです。
個性
人には「色々な個性がある」のです。
「崩してはいけない」のです。
精神世界の話しですけど
「昔の人は菜食」でした。
「菜食」にして「女人禁制」なんてしていたのです。
もう「山の上に住んでいて山自体に女性を入れなかった」のです。
そういう人は「そういう人生」なのです。
例えば(好きなもの)
「一人さんなんか黒豚しゃぶしゃぶとか腹いっぱい食べちゃう」のです。
私も大好きです!(笑)
精神的なことをやっていても
「肉が食べたい」のです。
男同士でいるよりも
「全員女性だったらいいなと思っている」のです。
「私はそういう人間なんだ!と諦めてしまえばいい」のです。
そのように「生きると言っている」のです。
決して「悪い訳ではない」のです。
本当に「女性は悪いんですか?」
本当に「豚肉は悪いんですか?」ということになってしまうのです。
別に「私は悪いと思っていない」のです。
ですから
「諦めてしまえばいい」のです。
そうすると「すっきりする」のです。
それで「捨てられない欲は捨てられない」のです。
「欲望を捨てようとするのも努力」なのです。
努力
どちらも「努力」なのだとしたら
「買おうとする努力」をするのです。
それで「ハンドバッグを買って持ち歩く」のです。
そこまで「欲しいのです」から諦めて手に入れるのです。
例えば(一人さん)
一人さんは講演をやってと言われて
「やることになった」のです。
「一生懸命やっている」のです。
でも
「講演が仕事ではない」のです。
それでも「一生懸命やる」のです。
もう「人間は途中まで諦める」のです。
「やらなければならないことはやる」のです。
その方が「よっぽど速い」のです。
どうせやるのだから
「ゲームか遊びなんだと思ってせっせとやればいい」のです。
欲は捨てられない人生
「欲を捨てましょう」と言って
「欲を捨てろ!」
「欲を捨てろ!」とお坊さんはよく言うのです。
でもそれだったら「なぜ?お寺でも何でも立派なものを建てた」のでしょうか?
何であんなに大きくて立派なのでしょうか?
そしてお坊さんの家も
普通のところより大きいところに住んでいる人がいるのです。
「物欲はいけない」とか言ってはいますが
「要するに物欲はいけない」と言いながら
「立派な建物を建ててしまう人生なのだと諦める」のです。
「物欲は良くないと言ってはいるけどできない人生」なのです。
それで「いい」のです。
「許してあげればいい」のです。
まずは「自分を許してあげる」のです。
ですから「精神世界の話をしても帰りはステーキでも食べようか?でいい」のです。
私たちはそうやってしか「生きられない」のです。
自分を「許せない」から
人を「許せなくなってしまう」のです。
「許して」いきましょう。
許す
そして「許すということができた時」に
「人は幸せになる」のです。
それで「私たちはこの世に遊びに来た」のです。
「悩みがある」ということは
「答えもある」のだ!
「答えを見つけるのだ!」
「その答えを見つけ出す」のです。
その「答えを見つけた時が楽しい」のです。
「ゲーム」なのです。
「見つからない時」は
「見たくない」のです。
「固定観念がある」のです。
「こうじゃなきいといけないという考えを持っている」のです。
でも
それが「本当は嘘」なのです。
そうすると「困った状態が出てくる」のです。
そうなる前に「自分で答えの有る方を向く」のか
人に相談して「答えの有る方を向かせてもらう」のか
この2つしか方法はないのです。
そうすると「いやいや固定観念を捨ててそっちを見た時に人は幸せになる」のです。
だからと言って
固定観念は「間違えているということではない」のです。
例えば(昔の時代)
今の時代では「おかしいと言っている」だけで
江戸時代では「おかしくなかったことがある」のです。
時代が変わるのです。
お父さんやお母さんが言っていたことも「昔の観念」なのです。
なので「今を生きてる私たちは今に合わせないといけない」のです。
例えば(今どきの人)
ひわいなお話をして申し訳ないですが
昔「女性は処女のまま結婚する」のが
「当たり前だった時代がある」のです。
それが
この前「女の子二人が歩いてた時のはなし」ですが
友達が「彼氏どうした?」と質問して
「別れたわよ!」という返答に対して
「でも色々な人と経験できただけ得じゃない!」と言ったのです。
要するに
「やった数が得だと言う」会話をしながら歩いているのです。
ですから時代が
そこまで「変わっている」のです。
それを「昔の観念で話をしてもしょうがない」のです。
時代は「戻せない」のです。
それで
「本当に昔は良かったのですか?」というと
例えば(昔のおやじ)
- 「暴れるです」
- 「おやじが酒乱なんです」
- 「家にお金入れないんです」
と相談したとしても
一緒に涙を流して「子供のために我慢しましょうね!」と
「何年も頑張ったんだから我慢しましょうね」と
相談なんかしても
最後の答えは「我慢しましょうね!だった」のです。
「絶対離婚はしちゃ駄目ですよ」とか
「我慢しましょうね」だったのです。
ですが
- 「お金も入れない」
- 「酒飲んで暴れている人」
と一緒にいるということが幸せなのでしょうか?
そんなの「やめちゃいなと辞めるほうが幸せ」なのです。
今の方がよっぽど「まし」なのです。
ですから「くだらない観念にどこかで縛られている」のです。
何かがあるのです。
例えば(結婚)
結婚は「おめでたい」のです。
しかし
「嫌な人と別れられる」と
また「おめでたい」のです。
ですから「一粒で二度おいしい」のだから
「いいことなのだ」と思ったら「いい」のです。
それで
「結婚したい人はすればいい」
「したくない人はしなくていい」のです。
昔は「絶対に結婚しないといけなかった」のです。
でも「本当にしないといけないのですか?」
しなくても「いい」のです。
「諦める」のです。
自分は「こういう人間なのだ!」と
それで「いいんだって言ってあげる」のです。
みんなと同じだったら
「人生つまらない」のです。
やっぱり「自分という個性があるのがいい」のです。
個性と押し付けない
それで「自分も正しい」
でも「人も正しい」
ですから「押し付けてはいけない」のです。
本当に自信があるとしたら「信じてくれなくてもいい」のです。
やたら「仲間を集めたがる人」は
本当は「自信がない」のです。
自信満々だとしたら「仲間はいらない」のです。
集めなくても「勝手に仲間ができる」のです。
例えば(天が選ぶ人)
大金は「天が与える」のです。
小銭は「努力でも入ってくる」のです。
大金は「天が与える」
例えば「鹿児島で一番の金持ちが誰か一人いる」のです。
「鹿児島で二番というのは誰か一人いる」のです。
「三番目の金持ちもいる」のです。
そうすると「誰がそういう人を選ぶのか?」と言った時に
例えば「車って運転してる」として
「誰かが入ろうとした」時に
「入れないようにするひとがいる」のです。
その時に「目と目が合わない」ように
「横目で見てる」と
「横目で見ながら入れない」のです。
ところで
そこまで「入れない努力をする必要」があるのでしょうか?
入ろうとしたら「どうぞ」なのです。
この話を聞いて
「もう今日は全部入れてあげる」と実践したら
その日の「売り上げが良かった」のです。
「当たり前」なのです。
「出している波動が違う」のです。
「入れさせないと努力してる人」と
「どうぞとやった人間」では
その人から出ている「オーラが違う」のです。
入れないようにしながら
「前へ前へ出ていくようなそんな人間を神様が選びますか?」
そんな人間なんて「絶対に選ばれない」のです。
「どうぞ」なのです。
「アクセル」ではなくて「ブレーキ」なのです。
そして「混んでいる」のだから「大して時間は変わらない」のです。
「どうぞとやってあげればいい」のです。
そして「悩んだ時は自分が見たくない方を見る」のです。
自分で見れないときは「人に相談して見させてもらう」のです。
答えが見つかれば自分で「解決できる」のです。
「諦める」=「明らかに眺める」のです。
まとめ
今日は「 諦めると見える悩みの答えは反対側にある! 』 」というテーマでお話をしてきました。
私たちは「みな悩みがある」のです。
そして「悩みが出た」と同時に「解決の答え」も出ているのです。
私たちが「なかなか悩みを解決できない」理由は
「答えが自分の見たくない方にある」からなのです。
自分んで「諦めて答えをみて『解決すればいい」のです。
自分で見れないのなら
「諦めて人に相談してみてもらって答えを教えてもらえばいい」のです。
答えがわかったら「解決できる」のです。
私たちが「なかなか悩みを解決できない」理由は「諦めが悪い」からなのです。
「諦める」=「明らかに眺める」ことで
あなたも 「悩みを解決しながら成長していく道」を歩んでみてはいかがでしょうか?
人は「いつからでも人生の歩き方」を変えられます。
気が付いた時が
「人生の歩き方を選ぶチャンス」です。
今回のブログが
あなたの「 人生の歩き方を選ぶ 」良い機会にして頂けたら幸いです。
あとがき
今日も「斎藤一人さん」のお話から学びました。
学んだことは
自分だけ「満足して」「得した気持ち」になるのではなく
「周りの人にも伝えてみんなで幸せになる」
「愛」をもって生きる。
この精神のもと、
今日も「斎藤一人さん」の言葉をお借りしてお届けしました。
「これは自分にもあなたにも」役に立つ話しだと思い
ブログを更新いたしました。
話の中に「神様」や「仏様」「魂」などの
「キーワード」が出てきますが、
決して「宗教的」な話しではなく
すべての人が知っていると役に立つお話です。
また、一切「宗教批判」するつもりもありません。
ご自分の「信じる心」に従って頂ければ幸いです。
斎藤一人さん自身「変な人」とおっしゃっていますが
私は「変わった人」なので、
「変な人の話」を聴いて「変わった人」が書いたブログだと思って
これからもお付き合い頂けると幸いです。
一緒に修行していきましょう。
私は、あなたを応援しています。
私も頑張ります。
気付き
「昨日気付けなかった事」に「今日気づけたら」
それは「小さいかもしれないけれど成長」なのです。
それって凄いことなのです。
常に「昨日と違う自分になる」この小さな成長の積み重ねが
これからの大きな成長につながっていきます。
この小さな成長に
「気が付ける」ようになったあなたは
また一つ「成長」したのです。
だからあなたは「素晴らしい」のです。
そんな「あなたの姿」を想像してみてください❣
「ぐんぐん成長」しているのではないでしょうか?
私はそんな「あなたがステキ」だと思います。
そんな「ステキ」なあなたに「いいね」です。
では、またお会いしましょう
ありがとうございました。
今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございます。
それでは今日も最後まで読んで頂いたあなたに
感謝の気持ちを込めていきたいと思います。
それでは
せーの‼ 「いいね~」
と言う事で
みんなで「いいね~」と言い合える世の中になる事を願って
これからもブログをアップし続けていきます。
これからも応援宜しくお願い申し上げます。
今日もありがとうございました。
失礼いたします。
追伸
お時間がありましたら
私の「You Tubeチャンネル ルシカモール」もご覧いただけると幸いです。
合わせてよろしくお願い申し上げます。
You Tubeはこちらからどうぞ
https://youtube.com/channel/UCdq0ZnEyPPGfYlOGDzwz0UQ
感謝です❣
失礼いたします。
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