いつもありがとうございます。
変わった人のある日のつぶやき
今日のテーマは、
「悟り(さとり)」についてです。
あなたは「悟って」いますか?
「本当に毎回!いきなりすぎますね!」
はい!で失礼しました。
「悟り」というとなんだか
「偉いお坊さんが成し遂げるものというイメージ」がありますよね?
では「悟り」とは?
私達には「関係のないもの」なのでしょうか?
興味をもって「学んでみる」と
私たちは「悟り」ということについて誤解しているところがあるようです。
もちろん解釈は「人それぞれ」あると思いますが、
私たち人間には「悟りについて学ぶ」ことで
「周りの人」も「自分」も「幸せにする」ことができるのです。
更に「本当の幸せ」にも気が付くことができるのです。
今日はそんな「悟り」についてです。
「悟り」とは
「相手に何ができるのか?」そのことを
「一生懸命に考え・行動する」こと
そして「差を取っていく」ことなのです。
今日も「斎藤一人さん」のお話から学びました。
学んだことは、
自分だけ「満足して」「得した気持ち」になるのではなく、
「周りの人にも伝えてみんなで幸せになる」
「愛」をもって生きる。
この精神のもと、
今日も「斎藤一人さん」の言葉をお借りしてお届けします。
「これは自分にもあなたにも」役に立つ話しだと思い
ブログを更新いたしました。
今回の話しも
一人さんの不思議な話しを交えて解説します。
いつものように「非常に不思議な話し」です。
ただしこの話を聞くと
「悟り」の大切さ!に気付き「悟りの道を歩んでいこう!」という気持ちになります。
「悟り」には段階があります。
1段ずつ歩んでいきましょう。
是非、最後までお読みいただき「あなたの『悟り』について」お役立て下さい。
話の中に「神様」や「仏様」「魂」などの
「キーワード」が出てきますが、
決して「宗教的」な話しではなく
すべての人が知っていると役に立つお話です。
斎藤一人さん自身「変な人」とおっしゃっていますが、
私は「変わった人」なので、
「変な人の話」を聴いて「変わった人」が書いた
ブログだと思って見て頂けると幸いです。
きっと今まで気付かずに見過ごしてきた
「大切なこと」に
気付くことが出来ると思います。
是非「大切なこと」に気付けたら
自分を「自分ってすごい!」と
心置きなくほめてあげてください。
「私はすごい‼」と
あなたはすごいのです。
では、本題に入ります。
目次
このブログを見ると以下のことがわかります。
悟り
悟りの段階
「悟りには段階というのが有る」のです。
私たちは「悟り」というものを「誤解してる」のです。
例えば(悟ったつもりの人)
「悟って心が穏やかになる」という人がいます。
そういう人は悟ると
- 「幸せな気分になる」
- 「悩み事とかなくなる」
ということを「悟り」というように思ってるのですが、
それは「悟りではない」のです。
そういう人の話を聞いてると
- 「自分が落ち着いた気持ちになった」
- 「おおらかになった」
と「ずっと自分の事」を言っているだけなのです。
「終始一貫自分のこと」を考えてる人は
「悟りではなく」それを「エゴ」というのです。
「悟り」とはそういうことではないのです。
例えば
自分の親や兄弟や周りにいる人に
「一人さんの100回聞きのテープ」を
「これ100回聞いてみて」と渡す人と
「渡さない人もいる」のです。
「あの人達聞いてもしょうがない」とか
「分かりっこないし聞かない」とか言うのは
それは「徳」じゃないですよね?
「お母さんこれ聞きな」と言って渡すと
あなたはしっかり「徳を積んだ」のです。
そのあとに
「聞かないのは相手の問題」なのです。
「どうせ聞かない」と言って渡さないことは
「徳がない」のです。
では仮に「渡す」とします。
「渡しますよと言って、私渡してきました」と言う人は
「徳」で言うと
「渡さないより」は「徳は1点」なのです。
例えば(方便)
「うちのお父さんってすごい権威主義」で
テープを「聞かない」というのであれば、
その時は「方便」を使うのです。
このテープは「経団連の人達」や
「事業家の人達」が
「高額で取引してるものだから本当にすごい」など
相手に合わせた「方便」を使うのです。
そうしたら
「相手は聞くかもしれない」のです。
それから若い人で芸能人が好きな人には
「芸能界の人達」で
「これ聞いてる人は多い」など
「本当にいる」のですから嘘ではないのです。
それからビジネスマンには
「事業家の人達」で
「これ聞いてる人は多い」など
相手に合わせて
それをどういう風に言ったら
「相手が聞きたくなるだろうか?」と
「そのことを一生懸命考える」のです。
※「方便」というのは
「嘘をついてもいい」ということではないのです。
「相手に分かりやすい説明をしてあげる」
「どういう説明をしたら相手が分かってくれる」
「愛情をもって説明する」
という意味のことを言っているのです。
なので「方便と嘘とは違う」のです。
そのことを勘違いしないでください。
得にはならないこと
そういうことは「自分」にとっては
「一銭の得にもならない」ですよね?
でも
「一銭の得にもならないこと」を
「どうしたら人は聞いてくれるだろうか?」と
考えていて
人のために「愛のある方便」を
その人に合わせて「パパっと使い分けられる」
「随所随所におりこむ」ことができたら
それは「徳」ですし「ステキ」なことですよね!
例えば(お釈迦様)
お釈迦様は「自分が悟った」から
「いいのだ」と
「幸せな顔をして生きていた」のではないのです。
しっかりお弟子さん達を集めた時に
「宇宙の大真理からなに」から
「もすごい深淵(しんえん)なこと」を説いていたのです。
学問も何もない人が
「私は弟子になりたいんのです」と来た時に
例えば(お百姓さん)
「麦を収穫したかったら
麦の種を撒きますよね?」
それは当たり前ですよね?
あなたが「幸せになりたい」のならば
「相手を幸せにしてあげる徳」をまけば
「必ず徳が出てきてそれを刈り取ればいい」のです。
必ず「徳を刈り取る日が来る」のです。
と教えてあげていたのです。
反対に
- 「変なことをする」
- 「人に嫌がらせをする」
など悪いことをすると
それがやがて「悪い実」となり
「それを刈り取らないとならない時が来る」のです。
お釈迦様は「一生懸命教えていた」のです。
それを私達は「悟ったのだ!」と
言ってるのは「本当の悟りではない」のです。
悟った後
どうしたら「人様の役に立てる」だろうか?
そのことを「死ぬまでお釈迦様は考えていた」のです。
弟子を連れて歩いていても
横になっていても
周りにお弟子さんがたくさんいたのです。
最後「死ぬ寸前まで説いていた」のです。
みんな死ぬ前まで
「お言葉を!」と言って待っていたのです。
そこまで尽くしたのです。
「自分は悟った」とか
言っているのではないのです。
「どうせ聞いても分からない!」とか
「愛のない(徳のない)対応」はやめるのです。
「悟り」は「心を治すためのもの」なのです。
例えば(嫌いな人)
私は「親」も「兄弟」も「親戚」も
「嫌いなの!」と言うと人がいます。
「自分で自分の機嫌を取れない人」だから
「嫌い」なのです。
「全力を尽くさない人」だから
「嫌い」なのです。
要は
「徳のない人」だから嫌いなのでしょう?
ただし
相手は「知らないだけ」なのです。
だから本当は「あなたが教える」のです。
その時に「どうしたら聞いてくれる」のか?
このことを「じ~っと人様のため」にと言って
「考える」それで「一生懸命行う」のです。
私達が「やらない」のは
「自分にとって一銭にもならない」し
「得じゃないから」でしょう?
「得じゃないことはしない」という人を
「徳がない人だ!」と言うのです。
「ダルマ」と「カルマ」
- 「良い行いをすること」
- 「悪い行いすること」
「悪い行いをして出てくる結果」を
「カルマ」と言うのです。
逆に
「良い行いをして出てくる結果」を
「ダルマ」と言うのです。
だるまさんの「ダルマ」という言葉は
「いいことをする」と「いい因果をうつす」ということなのです。
それを「ダルマ」と言うのです。
人間は
「前世から持ってきた(自分が作た悪いもの)『カルマ』」を
今世で「ダルマ」に変えるために生まれてくるのです。
これを「ダルマの行い」と言のです。
この「ダルマ」の行いをずっとしてると
「悪いことが解消されてくる」のです。
ご注意を!
今回は「1つ覚えて頂きたい」のです。
こういう話を聞くと
「あなたのお金を狙う」人達が
(拝み屋(おがみや)さんだかなんだかわからない人達)
その人が「あなたのカルマを解消してあげる」と言って
「お金を出しなさい!」と言うのです。
でも冷静に考えて頂きたいのですが
「悪い因果を解消する」には
「自分が徳を積む」しか方法はないのです。
それなのに
「お金を出して解決してくれる」と
言っている人たちは「あり得ない」のです。
それと同じくらい
「お金を出したら済む」と思って方も
「あり得ない」のです。
どちらも「ダメ」なのです。
「良い因果がお金で買えるわけがない」のです。
そう言うことを「思うこと」や「考えること」が
「悪い因果を積んでいること」なのです。
それよりも
- 「良い行いをおこなう」
- 「自分で自分を笑顔にする」
- 「しっかり人様にできることをする」
そういうことを「真剣に考える」のです。
この人には「これなんだ!」と
例えば
いくら政治家が好きで
「政治家でもこういうの聞いたりしている」と
話をしてうまくいったからといって
「18歳とか19歳で政治に興味のないに人」に
同じこと言ったら「おかしいでしょう?」
でも「一生懸命やっても」
「一生懸命徳を積もう」としても
「失敗」することがあるのです。
「あそこが私失敗だったんだ!」
だたら「次はここを変えよう!」
今度は「この言い方を変えよう」と言って
「すぐに起き上がらないといけない」のです。
だるまさん
だるまさんは
「七転び八起き」といって
「100回転んでも100回起き上がる」のです。
それで
「だんだんだんだんうまくなっていく」のです。
「ダルマの行い」も
「昨日失敗した」のだと
「失敗するたび」に
「まったくあいつはダメなんだから」と
「人のせい」にしていたら
もうそれは「徳じゃない」のです。
- 「自分の言い方が未熟だったのだ!」
- 「今度は失敗しないようにしよう!」
- 「今度はこういう風にしよう!」
「相手のため」にそこまで考えられると良いのです。
相手に合わせてやり続ける
「これ聞いてみてと渡した」ことは
それは「徳1点」なのです。
それを「100点くらいの徳」を
「積んだつもりでいる」のは間違いなのです。
本当にそうではないですよね?
「相手のため」に
「相手が聞きたくなる方便」を言うのです。
だから「お釈迦様の所」には
「色々な人が来た」のです。
確か80歳くらいで「亡くなっっている」のですが
あの当時だったら「ものすごい高齢」なのです。
寝たきりの時まで「お弟子さんがきていた」のです。
「解いて説いて」そのことを「説いていた」のです。
- 「木こり」
- 「政治家」
- 「王様」
まで来ていたのです。
例えば
「王様なら王様」にわかるように
「学や知識がない人」に分かるように
あらゆる人に対して
「どう説いていこうか?」ということを
ずっと「やり続けてきた」のです。
「自分の悟り」なんて言うのは
「自分が幸せになった」だけなのです。
「自分が出来るようになりました」ということは
「1点」なのです。
「自分の幸せばかり考えている人」は
「エゴ」なのです。
エゴと悟り
「エゴと悟り」はえらい違いなのです。
「人様の役に立ちはじめ」たら
「悟りの道」に
「どんどんどんどん入ってくる」のです。
本当にそれが「幸せ」なのです。
「宗教的な話」をしているのではないのです。
「心の問題」なのです。
「どんどん『悟りの道』を進んで行けばいい」のです。
私達は「未熟な者同士が力をあわせていく」のです。
まとめ
今日は 「悟り」 というテーマで話しをしてきました。
自分が「悟っただけ」では「エゴ!」なのです。
本当の「悟り」とは
「相手に何ができるのか?」そのことを
「一生懸命に考え・行動する」こと
そこからはじまるのです。
あなたも「悟りの道を歩く人生」を歩んでみてはいかがでしょうか?
人は「いつからでも人生の歩き方」を変えられます。
気が付いた時が
「人生の歩き方を選ぶチャンス」です。
今回のブログが
あなたの「 人生の歩き方を選ぶ 」良い機会にして頂けたら幸いです。
私は「変わった人」なので
「この人変わっているな~!」と言う感じて
これからもお付き合いいただけると幸いです。
一緒に修行していきましょう。
私は、あなたを応援しています。
私も頑張ります。
気付き
「昨日気付けなかった事」に「今日気づけたら」
それは「小さいかもしれないけれど成長」なのです。
それって凄いことなのです。
常に「昨日と違う自分になる」この小さな成長の積み重ねが
これからの大きな成長につながっていきます。
この小さな成長に
「気が付ける」ようになったあなたは
また一つ「成長」したのです。
だからあなたは「素晴らしい」のです。
そんな「あなたの姿」を想像してみてください❣
「ぐんぐん成長」しているのではないでしょうか?
私はそんな「あなたがステキ」だと思います。
そんな「ステキ」なあなたに「いいね👍」です。
では、またお会いしましょう
ありがとうございました。
今日も最後まで読んで頂き
ありがとうございます。
それでは今日も最後まで読んで頂いたあなたに
感謝の気持ちを込めていきたいと思います。
それでは
せーの‼ 「いいね~」
と言う事で
みんなで「いいね~」と言い合える世の中になる事を願って
これからもブログをアップし続けていきます。
これからも応援宜しくお願い申し上げます。
今日もありがとうございました。
失礼いたします。
追伸
お時間がありましたら
私の「You Tubeチャンネル ルシカモール」もご覧いただけると幸いです。
合わせてよろしくお願い申し上げます。
You Tubeはこちらからどうぞ
https://youtube.com/channel/UCdq0ZnEyPPGfYlOGDzwz0UQ
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